【People】大阪大学大学院 生命機能研究科 細胞内膜動態研究室・医学系研究科 遺伝学教室の吉森保栄誉教授(前編)

吉森先生が編集委員を務める科学雑誌『Journal of Cell Science』の126巻21号(2013年11月)の表紙。
MANAIにゆかりのある人を紹介する「MANAI ピープル」。今回は、MANAI生の一人が今年の夏、研究室でインターンをさせていただいた大阪大学大学院の吉森保(よしもり・たもつ)栄誉教授に、高校時代のことや研究者を志したきっかけなどについてお話を伺いました。
哲学に熱中していた高校生が生命科学の第一人者になるまで
哲学への興味から一転、大阪大学理学部へ
――高校生の時はどのような生徒でしたか?
(吉森先生)あまり自慢できるような高校生ではなかったが、高校が一番楽しかった。当時、研究とかは全然興味がなく(笑)。興味を持つと止まらなくなるが、飽きっぽくもあった。まんべんなく勉強することは凄く苦手だった。文系だったがあまり授業には行かなかった。ただ図書館が好きで、哲学書をよく読んでいた。最初、大学は哲学科に行こうと考えていた。しかし、だんだん興味が移っていき、心理学に興味を持ち、次は動物行動学が面白いと突然思い始めた。そして、動物行動学なら生物学科に行かなくてはということで、高校3年生になって急に変えた。
――高3で理系へ変更されたのは驚きです!!でもなぜ動物行動学だったのでしょうか?
(吉森先生)本を読んでいた流れで動物行動学に興味を持った。心理学は実験する心理学、実証するものもあり、そういうのが面白いと思っていた。そして動物行動学では、実験というかフィールドワークに出てサルの群れの中に入って行動するようなことに憧れた。(実際に)見たり、検証したり、自然が相手であることが面白いと思うようになり、急に文系から理系へと変えた。
――受験勉強は大変ではなかったのでしょうか?
(吉森先生)私は共通一次試験(1979~1989年に実施)の前の年の受験だった。だから一斉試験というものを受けていない。まんべんなく点を取ることができないから、浪人していたらどこも受かっていなかったと思う(笑)。今でもそういう子がいると思う。だから、普通の試験もあっていいが、そうではない道も残してほしいと自分のことを振り返ると思う。一芸に秀でているような子が進む道が。

研究室の学生と記念撮影を行う吉森先生(一列目右から2人目)。全員で吉森先生の誕生日をお祝いしている様子。(2020年9月)
――共通テストのようなものは受けていないとはいえ、文系から変更してどのように理系科目を勉強したのでしょうか?
(吉森先生)数学・物理は全然できなかった。理学部は理数が必須だが、際どかったと思う。数学は過去問題集を解いても、問題の意味が分かるものが5問中3問ぐらい。その3問は問題の意味が分かるからチャレンジするが、解けるのは一つぐらい。本番も見事に同じで、自己採点をしたが1問しか解けていなかった。だから普通だったら受からない。ただ、国語と倫理社会は得意で、たぶん両方とも満点だった。理系なのに(笑)。文系で(理数を)カバーして、辛うじて受かった。
――受験の時、自信はあったのでしょうか?
(吉森先生)高校は東京都立の竹早高校だったが、当時は、一浪はふつうだった。だから(浪人しても)いいやと思っていたが、(翌年から共通一次がスタートしているから)浪人していたら受かっていなかったと思う。いつも際どい人生を送っている。
――最初、哲学科に行こうと思っていたということですが、哲学に興味を持たれたきっかけはありますか?
(吉森先生)子どものころ、寝る前に「いま、自分は考えている」「そして、考えていることを考えている自分がいる」ということを思っていた。子どもってよくこういうことを考えますよね。そしたら「自分って何かな」とかを考え始め、止まらなくなって怖くなった。そういうところから哲学に興味を持ち、哲学を職業にする人がいるんだー、と哲学書を読むようになった。

小学生時代の吉森先生(右)。
“優秀な科学者は、同時に興味の幅も広い”
――当時はまっていた哲学が、今の研究に影響を与えていることはありますか?
(吉森先生)あまり関係はないですね(笑)。関係はないけど、長い間研究をしてきていろいろな人を見てきたが、優秀な科学者は興味の幅が絶対に広い。だいたい、理系・文系というのが私はおかしいと思っている。海外ではあまりそういう区別はしない。
生命科学はある意味、哲学だとは思う。日々の実験で哲学的なものが使われることはないが、究極的には「生きているとは」とか、「命とは何か」というのは哲学の領域に近く、違和感はない。哲学は純粋にロジックを追求する(学問であるの対し)、生命科学は現場で見る・実験をする。自分の中ではいろいろなことが繋がっている。趣味にしろ、研究にしろ。

幼いころの吉森先生(左)。物理学者であったお父様と。
――周りの方、特に研究者の人も多趣味な方が多いですか?
(吉森先生)そうですね。師匠の大隅先生も実験大好きで研究一筋できたが、お酒も大好き。文系的な話題にも詳しいし、私と似たようタイプです。
また、私が尊敬する京都大学の永田和宏先生は細胞生物学者だが、歌人としても超一流。現代短歌の代表的な歌人で、まさに二足の草鞋の典型。まぁ、永田先生のように両方で超有名というのは真似できないが。そして永田先生も(二つが)どのように役立っているかとよく聞かれるようだが、「全然」と答えている。でも、(多趣味であることが研究の役に立つことは)絶対にあると僕は信じている。
“逃げ場があっていい”
――高校生たちと進路の話をする時に、研究者のイメージとして、没頭・寝食を惜しまずに研究している姿があり、自分はそういうことはできない。多趣味だと褒められることはあるがすぐに飽きてしまう。自分は研究者には向いていないのでは、ということを言うが、先生を見ているととても多趣味。多趣味であることは(研究をする上で)重要だよ、と高校生たちに伝えたいのですが、、、、。
(吉森先生)ぜひ伝えてください!自分を正当化するためにも(笑)。逃げ場というと変な感じだが、永田先生もよくおっしゃっている。子どもたちに話し掛ける時に、二つの世界があって何が良かったかというと、「一方のことを完全に忘れて没頭する。そういうものがあると煮詰まらない」と。
永田先生はいじめられて死んでしまう子どもがいることに心を痛められている。そういう時に、「死ぬ必要はない。違うところに行きなさい」と。学校がすべてではない。学校しかないと追い詰められるけど、趣味でもなんでも、もう一つ場があればそちらに逃げることができる。
永田先生は逃げている訳ではないと思うが。僕も山に行ったりする。トレイルランニングが趣味なので。そういう時に、何か思い付いたりしますか?と聞かれるが、全然(笑)。走っている間は苦しいだけ。仕事のことなんか考えられない。でも、たぶんそれが大事かと。
研究のアイデアでも、何か思い付いた後、一晩経ってからの方がいい。ドイツの留学先の先生もよく言っていたが、「一回忘れた方がいい」と。学会発表の練習でも、練習しまくって最後の夜は寝ろと。発表の前日は熟睡して一回忘れろと言われる。(それでも)ちゃんと定着するからと。これは、神経科学的に正しいと思う。もっと大きな文脈でも、違うことを考えることは大事。

ノーベル賞受賞者である大隅良典先生と中国・敦煌の学会に参加した時の様子。エクスカーションでゴビ砂漠を訪れた。
“ダイバーシティは個人の中にもあった方がいい”
――先生は最初、研究者になるつもりはなかったということですが、研究者を志すようになったきっかけは何でしょうか?
(吉森先生)大学は辛うじて入ったけど、その話には落ちがあって、阪大生物学科には動物行動学をやれる研究室がなかった。(動物行動学なら)京大に行くべきだった。自分で調べろ、という話だが、、、、、誰も教えてくれなかったし、あまり周りに(動物行動学をやりたいと)言っていなかった。京大に行っていたら、また人生変わっていたと思います。
ともかく、入ったら研究室がなく、興味を失った。理学部は豊中にキャンパスがあるが、阪大坂という坂を上らなくてはいけない。しんどい。その途中に雀荘があって、寄ったらもう授業には行かない。もちろん研究者の意識もなく、卒業して就職すればいいと思っていた。ところが、幸か不幸か当時の理学部生物学科は就職口がなかった。教員になる人が多かったが、教職も取っていなかった。行先がなく、とりあえず大学院に行こうと思った(笑)。モラトリアム人間という言葉が流行ったが、その先駆け。
大学院の行先もいい加減で、4年生の時の直属の上司が留学することになり、面倒を見てくれる人がいない状態になった。東大から新しく着任された先生は植物の人で、当時、動物行動学は諦めていたが、植物よりは動物と考えていた。
そして人づてで、医学部の岡田善雄先生(大阪大学微生物病研究所教授、大阪大学細胞工学センターセンター長、財団法人千里ライフサイエンス振興財団理事長などを歴任)を超有名だとは知らずに紹介してもらった。失礼な話だが。岡田先生はノーベル賞の候補者の一人だった。細胞と細胞はふつう混ざり合わないが、岡田先生はセンダイウイルスというウィルスで細胞が融合することを世界で初めて発見した。その時は研究室の目の前がテニスコートで、朝から晩までテニスに明け暮れた。大学院の修士1年とか2年まで。
2年後は、今度も就職と考えていた。実際、バイオブームがきて、医者ではないが医学修士の人材は多くの会社が求めていた。当時、医者ではない医学修士は阪大と筑波にしかなかった。(注:医学修士・博士号は学術的な研究において付く称号で、医療行為をする医者に限定された話ではありません。)阪大はすごく先進的な取り組みをするが、知られていない。もっと宣伝をしたらいいと思うのだが。
とにかく、今度は引く手あまただった。ところが、先輩たちの研究を見ていたらすごく楽しそう。岡田研究室が一番活気のある時で、すごい研究成果がどんどん出ていた。先輩たちも「見つけた!」というような感じで。それを見ていたら羨ましくなり、そのまま博士に行こうと決めた。博士に行って少し真面目に実験するようになり、大した研究はできなかったが面白いと感じ、ようやく研究者になろうと思い始めた。それまでは何も考えていなかった。でも、それでいいと思う。
軽い気持ちで行って、向いてないと思ったらやめたらいい。研究室の大学院生にも言っているが、研究者になることが偉い訳ではない。うちから商社に行った人もいる。それは挫折でもなんでもない。多様な視野を持つこと。ダイバーシティは個人の中にもあった方がいい。研究一筋にやってきたように思われるが、全然そんなことはなく、たまたま。
(後編へと続く。)
*Journal of Cell Science(Journal of Cell Science | The Company of Biologists)
*Journal of Cell Science 126巻21号(TRAPPIII is responsible for vesicular transport from early endosomes to Golgi, facilitating Atg9 cycling in autophagy | Journal of Cell Science | The Company of Biologists)